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散りばめられたテーマに関するあれこれ――劇場版ポケットモンスター『みんなの物語』感想

eiga

劇場版ポケットモンスター『みんなの物語』を再び観てきたので、今回は前回の記事での評価を上方修正しつつ、
ここが惜しいな、と思った点を挙げていこうかと思います。
自分好みの映画ではないということに関してはまあ変わりありませんので悪しからず。

今回の映画のテーマは何か、というところからいきましょう。
「人もポケモンも一丸となってみんなで協力する」というのはまあもちろんそうですが、
それ以外にも散らばっているものとして、分かりやすいもので言えば「嘘」、
それからゲットレースとハンターを比較したときの「ポケモンを捕まえることの意義」、
あとはリサがイーブイをゲットするくだりでは、サトシのことばを反復してピカチュウに技の指示をくだしますが、
他にもゲットレース中にトリトの話を聞いてカガチが行動する、という、
こうした間接的な指示の出し方について、「指示を与えることとそれに従うことの意義」。
いろいろ掘り下げていけば面白い話がつくれそうな気がしますが、一言で言ってしまえば、掘り下げ不足。
掘り下げ不足というのはこの映画全般に言えることで、限られた時間にたくさん詰め込んでいる、割とまとまっている、
その一方で、詰め込み過ぎたから深く追求できず、中途半端な仕上がりになっている……そんな印象を受けます。
中途半端というのは、話としてはまあ無難に完結しているので後味の悪さはありませんが、
せっかく前半のほうで興味深いテーマをピックアップした割に、
後半のほうではそれらを活かしきれないままみすみす手放している気がして、
その代表例として、やはり「嘘」というテーマの描かれ方が非常に微妙だった、と感じました。
「嘘」「ポケモンを捕まえること」「指示を与えることと従うこと」、この三つについてそれぞれ詳しく考察します。

「嘘」 ――
フウラシティはゼラオラを守るために嘘をでっちあげたという設定ですが、
「守るためなら嘘をついて良いのか?」というのは結構クリティカルなテーマで、
ゼラオラの呪いを勝手につくりあげたことで、余計にゼラオラの人間への不信感を強めてしまっている部分があります。
これに反感を抱いたラルゴが様々な問題行動を引き起こすわけで、
ゼラオラの信頼を取り戻すには嘘ではなく真実、人間の真心こそが必要だ、という結論にたどり着く、
街を挙げての嘘は撤廃するようになります。
ここにさらにホラ吹きキャラとしてカガチとウソッキーの関係性も入り込む……ように見せかけてはあるのですが、
カガチは実は嘘というテーマにはそんなに関係がない、というか、むしろ無縁でして、
カガチは以前にも述べた通り、ただの見栄っ張り、虚勢のキャラでしかなく、
「嘘で守れるものがあるなら嘘をつき続けてやる!」と開き直った割に、その彼の思いがどこにも生かされていないんです。
嘘=悪という短絡的な構図から脱しようとする努力は見られますが、結局のところ、
最終的には嘘って良くないね、みたいな面白みのない結論に至っているのが、至極残念です。

「ポケモンを捕まえること」 ――
ゲットレースでのポケモンの捕獲と、ハンターによるポケモンの捕獲、さて違いは何か?
実は相当紙一重で、そもそもゲットという行為を見世物にしている時点で、ゲットレースもかなり野蛮な部類に入ると思うのですが、
ゲットレースに参加するトレーナーが善でハンターが悪という対比がなされているのはとても興味深いことです。
ゲットレースはもちろんその場限りの捕獲に過ぎず、大会が終わればゲットしたポケモンはリリースするそうですが、
しかし本質的なところからすると、ハンターの行為同様にポケモンを捕まえることには変わりないのです。
ただハンターが使うのは網、トレーナーが使うのはモンスターボール、ここが大きく異なっていて、
だからこそおそらくハンターはポケモンを「捕縛」するのに対して、
トレーナーはポケモンを「ゲット」する、という描かれ方の違いがあるのだと思います。
特に最近のアニポケで顕著ですが、ゲットした直後にボールから出すという描写が今回でも多く、
リサはゲット直後にイーブイを(サトシに言われて)出しますし、カガチもウソッキーをゲットしてすぐに出してやります。
こうすることで決してトレーナーはポケモンの自由を奪っているわけではない、相棒として共存しているんだ、
という印象を持たせようとしているのでしょう。
ゲットレース中で実況者の人が「ゲットを越えた友情」ということばを使いますが、
トレーナーとポケモンとの関係性は主従関係ではなく、あくまで対等な立場の協力関係であることを強調していると考えられます。
……であるならば、トレーナーと紙一重ながらも絶対的な悪とみなされるハンターを、
ただの一回限りの使い捨てのモブにしてしまうのは甚だもったいないことです。
人間には悪い人もいるよ、程度のメッセージ性しかなく、捕まえることの意義、その核心に迫るような部分を描かぬまま、
こぎれいに話をまとめてしまっては、せっかくの対比構造が完全に台無しです。
かといってここを掘り下げようと思うと尺の都合でその他のいろいろの部分を削らざるを得なくなり、
下手にたくさん詰め込んでしまったせいでまともに掘り下げることもできない。中途半端になるわけです。

「指示を与えることと従うこと」 ――
指示を与えること、あるいは指示に従うこと。これは人間にもポケモンにも当てはまるテーマです。
リサはイーブイをゲットするにあたって、サトシのピカチュウを一時的に借りるわけですが、
ポケモン初心者のリサではピカチュウに何を指示すればよいのか分かりません。
そこでサトシが後ろからどの技を指示すればよいか教えるわけですが、ここで不思議なのが、
サトシのことばをリサが反復するまで、ピカチュウは律儀に指示を待っているということ。
別にリサを待たずに行動してしまっても大した問題はないのでしょうけれども、
ピカチュウは一時的にリサのポケモンになりきって、サトシのことばには反応しないようにしています。
こうして、サトシ(指示を出す)→リサ(指示を反復する)→ピカチュウ(指示に応じる)という構図ができるわけですが、
ここからさらに発展して、カガチとトリトの協力関係に繋がります。
あそこではトリト(指示を出す)→カガチ(指示を反復する)→トリトのヒトデマン(指示に応じる)という形になりますが、
後々にこの不正が発覚してカガチはリリーの信頼をしばらく失うことになります。
このことから、リサは首尾よく行きましたが、カガチは失敗し、
他人の指示に盲目的に付き従うことの危うさというものが描かれている……ような気はするんですが、
ここから先の進展が特に目を見張るものがありません。
一応カガチのほうは、誰かの指示を待たずに、自分の意志で行動しよう!と思い立つわけで、
ウソッキーもウソッキーで、中和剤を投げるシーンではカガチに技を指示されるのではなく、
自らの意志でストーンエッジ? いわなだれ? を使って援護するようになります。
ただリサはというと、サトシに聖火を届けるよう言い渡されてそれを実行し、
走っている途中に弟のリクから連絡がきて彼の示した道順通りに森を突っ走ります。
もちろんリサにとっては、走ることがまずもって勇気のある行為ですし、高所恐怖症なのに聖火台に登っていくという場面も、
かなり大きく成長を感じさせるシーンではありますが、
結局は自ら考えて行動する、というところにまでは達していないのが悔やまれます。
これらを踏まえると、指示を与えること、それに従うことに関しては、いい線いっているけど今一歩足りていないという印象です。

あとはもう一つ、ラルゴの言動について再び二言三言。
ラルゴは言っていることはそこそこ正論だけどやっていることが問題だらけ、というのは以前述べた通りですが、
ではどうすればましになり得ただろうか? ということを考えてみたところ、いくつか思い当たるシーンがあります。
第一に、サトシとゼラオラが対戦するシーン。
あそこはまあ全体的にバトルの必要性がほんとうにあるのか、という議論が勃発しそうなほど蛇足でしたけれども、
ゼラオラと和解するようになった直接のきっかけは、
ゼラオラが技のコントロールを間違えて野生のポケモンたちに命中しそうになったところをサトシが身を挺して守ったことです。
新鮮味がなく、使い古された描写ですが、たとえばここで、サトシのかわりにラルゴが立ちはだかったらどうか。
あるいは、サトシと一緒に、ラルゴもゼラオラの電撃を受けたらどうか。
ラルゴの良くない点は終始痛い目を見ることなく守られてばかりというところですから、ここは平等に電撃を受けるのもありでしょう。
さて第二に、ラルゴ目がけて落ちてきた鉄柱をゼラオラが受け止めるシーンです。
ここでは声援を送る以外の具体的な行動を起こさないまま、ラルゴはゼラオラを見守るわけですが、何かできたでしょう。
エスパータイプのポケモンを集めてサイコパワーで支えるとか、そういう機転を利かせても良かったかと思います。
第三に、鉄柱を所定の位置に戻した後にゼラオラが上空から落下するシーン。
あそこはメリープたちのわたほうし? コットンガード? で衝撃を受け止めるわけですが、
ラルゴは「嫌!」と叫ぶだけで、ゼラオラに対して何ら具体的な手助けはしていません。
ゼラオラのことを自分で守る、と豪語しながら、その実何もできていないのがもどかしいですね。
やはりラルゴは全面的に改善の余地があります。


以上、評価を上方修正したという割にはなかなか貶したような気もしますが、
まあ初見で感じたほどの駄作というわけではなく、せいぜい凡作に格上げしてもいいかな……という印象でした。
全体的な薄っぺらさ、掘り下げ不足はありますが、しかし手堅くまとまっているのもたしかです。
自分好みではないという一言に尽きる映画でした。三回目はさすがにもうたぶん観に行きません。
というわけで前回保留にしておいた本作の評価は、凡作とします。
これにて劇場版ポケットモンスター『みんなの物語』の感想、おわりです。
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